晒青 (さいせい) 緑茶と烘青 (こうせい) 緑茶
今月のお茶会で一番のヒットは工藤先生からいただいた「雲南緑茶2007年」これは誰も今まで飲んだことがないという味に仕上がっています。飲まない方に正確に説明するのも不可能ですが、木の実や草の香りがたち発酵に伴って苦味が減り優しい味になっています。プーアール茶の原料となる晒青緑茶ですね。これは発酵茶として年々味が変化していきます。漢方で言う所の性質は温。
昨日岩間真智子さんの講習会「本草綱目と本草綱目拾遺」を聞くことが出来て、晒青緑茶と烘青緑茶この二つの茶をもう一度考え直す良いきっかけになりました。
中医学では毎日飲む予防の為の薬を上薬と言います。漢の時代「神農本草経」では上薬だった茶が李時珍「本草綱目」1596年では中薬となり、性質は寒になります。此の時代は散茶の緑茶ですから、熱気はとるけれど、血のめぐりが悪く冷え性の人、年寄りには害も多いと書かれています。これは雲南省の緑茶でいえば烘青緑茶です。新しい緑茶として飲むにはこのタイプがおいしいですが経年変化はなく、ただ古くなっていくだけで、発酵はしません。浙江省などで作られる代表的な緑茶のほとんどがこれにあたります。此の時代に漢民族の手に入る茶の殆どは寒の性質を持っていたのですね。
1871年に書かれた「本草綱目拾遺」になると具体的にさまざまな茶の名前が登場します。浙江省の雨前茶は性質寒とされ、六安は古い茶はほど良いとされています。ここで六安茶の製法は蒸して天火で干すとされていてあっと気がつきました。これは晒青緑茶です。酵素と微生物がまだ生きていますから、古くなるほど発酵が進み優しい茶になるのです。ここに初めて武夷山の茶も性質温として登場します。武夷山の青茶が完成したのは1700年近くになった頃と言われていますので、この時代には殆どの地域で現代と同じような青茶が完成していたと考えられます。
さらにこの時代になると交通網も発達し、辺境で作られる茶が中央の漢民族に貢茶として届けられるようになり、清朝宮廷で持てはやされた茶膏も登場してきます。寒と温が登場する事により、茶はふたたび上薬としての位置を獲得するのでしょう。
この本に登場する茶の中には彼女もまだまだわからぬ茶も多いと言い、丸、散と同じように水状態の薬は茶と言いますから。カメリアシネンシス以外も多く含まれていますが、現代でも飲まれている物もありそうで、次回広州漢方市場や香港で少しその辺は調べて見ようと思いました。
疑問の方がまだまだ多いですが、岩間真智子さんが「中国の医薬史」をまとめて下さったお陰で茶の医薬としての歴史も変わっただけではなく、わからなく成ったときに参考になる信頼出来る資料が出来ました。
黒茶の歴史に欠かせない晒青緑茶と烘青緑茶、この辺をもう少し勉強し直さなければいけないと考えさせられている7月です。なでしこジャパンに力を貰って、暑さのせいにしてぐずぐず過ごさないようにしなければ。