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今日もぼんやりプーアール

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川蔵茶馬古道と四川の背夫

 このblogも中国人の春節より永く、お休みしてしまいました。
 今年は普洱茶以外の黒茶が注目をあびています。お陰様で春節以来忙しく過していました。とても嬉しい事ですが、間違った情報やあやふやな情報が氾濫しそうな気配もあるので、少しずつ辺境に運ばれた黒茶の事を書いて行きたいと思っています。今年は「今日もぼんやり辺境の茶」ですね(笑)。
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画像:1)川蔵茶馬古道の雅安から康定に向けて茶包を運ぶ「背夫」の写真、1908年7月30日に米国人ウィルソンが撮影したもの。

画像:2)フランス人オーギュスト・フランソワは清代末期の1896年に中国に来て、昆明の領事として8年間暮らし、数千枚もの写真を撮った。「背夫」の画像は、四川省の瀘定橋から康定に至るところで、1904年に撮影したもの。

 どちらも有名な写真です。

 各画像の背負っている茶は、雅安で作られた約18cm×11cm×6cmの蔵茶を約1mの長さの竹籠で包みます。雅安茶厰では今も続けて造っており、私も二本持っています。どうしても欲しくて雅安の郵便局に持ち込むと、お茶は5kgまでしか送れないと言われて押し問答になり、これは飾り物です、アート作品ですと言って、やっとそのままの姿で日本に送ってもらえました。一本持つのもやっとの重さです。中を開けていないので、正確ではありませんが、10kg前後の重さではないでしょうか?当時の様に20個入っているかは開けないと正確にはわかりませんが、まだ少しそのままの姿にしておきたいと思っています。
 四川省天全県の「背夫」と言われる人々は力持ちで有名でした。この竹の茶包(一包20斤:約10kg)を10〜16本程を一人でかつぎ、雅安から康定に運びました。女の背夫もいました。けわしい二郎山を越えて行くには人間の足で運ぶしかなかったのです。その間茶を背からおろす事は一度もありませんでした。食べる、寝る、お手洗いは竹の皮を持ち、女の人もそれで済ませたそうです。その道を実際に歩き、その話を教えて下さった駱少君先生(「黒茶のすべて」著者)は「なんてかわいそう」と実感こめて言われました。私も雅安に行きましたが、工場を見るのが精一杯で、外国人がチベット近くのまだ整備されていない山道に行く事はかないませんでした。

 黒茶は茶の需要が増えた為、最初に涇渭茯茶が出来た頃から輸送のために固められて来ました。15cm×18cm×10cmと言うのは人力で運ぶのに一番適した大きさだったのかもしれません。その後も馬、牛、船など一番需要が多い地域に運びやすい形を求めていろいろな形が出来て来ました。雲南省の七子餅は七枚をまとめて一筒とし、その12筒を一つの籠に入れて、それを馬や牛の両側に一籠づつ振り分けて茶馬古道上を運びました。漢口が開放された万里茶路の時代にはロシアからプレス機が入り、2kgの磚茶が出来ました。漢口では船での輸送が多かったのです。

 90年代までは国の規制が多く、黒茶の製造も国営茶厰が殆どでした。茶農家が作った茶葉の行き先から、茶厰で製造された茶の販売先まで決められていました。その時代に作られた勐海茶厰の普洱茶が、コレクターズアイテムと言われる様になるほど、作られた普洱茶の種類も今では考えられない位の少なさでした。
 国の手厚い補助を受けていた辺境に送られる茶も2000年代になると徐々に自由化され、湖南省では2006年12月に、省の協力を得て立派な「湖南黒茶」が出版されます。共産党とのつながりが薄く復刻の遅くなった涇渭茯茶も復刻されました。雅安茶厰がほぼ独占していた雅安の蔵茶も現在では複数の茶厰が作っています。
 交通網の発達した現在では江蘇省や浙江省など、従来は緑茶の産地で作られた黒茶もあり、また湖南省でも現在では茶の六大分類のすべての茶が作られ輸出も盛んに行われています。
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   画像:3)中国初期の写真家孫明経が1939年7月に撮影

 辺境に送られた辺茶は従来は煮て飲む茶でした。2000年以降は煮なくても飲める茶も売られています。煮るのは面倒な事や、茶芸が出来ない事などがあり、辺境以外に売り上げを延ばす為に煮ないで飲める茶が必要とされたのでしょう。また元々は出来たその年に飲まれる物ではなかった黒茶ですが、現在では1年目と2年目では味が変わるとも言い、普洱茶のように年を経た茶が美味しいと高値で売られてもいます。千両茶など1年ごとに味が変わるとも思えず、私は数年で値段をかえる事は疑問に思います。ただ70年代に作られ辺境にのみ送られていた茶は種類も少なく、やはり2000年以後に作られた茶とは茶葉も風味も違います。
 それらの茶は2kgで5万円前後で売られているのが相場でしょう。大きくなった新興茶厰で現在作られている茶がそれ以上の値段で売られている場合も多いようですが、私は首をかしげます。やはり100g1000円前後で良質で美味しい茶をお分けできたらと思っています。

 どうみても黒茶はやはり日常に飲むお茶で、おもてなしや茶芸を楽しむお茶ではないと思うのです。番茶は玉露にはなれない。だけど毎日飲むには番茶の方が良いという方も多いでしょう。私もお茶会に呼ばれたり、季節の菓子に合わせて烏龍茶や他の分類の茶を飲むのはとても楽しい。お茶会の最後に普洱熟茶が出ればほっとするし、古茶樹の普洱生茶独特の風味を楽しむ茶席も良いと思う。ただ発酵茶として腸内細菌を整えてくれる優れものとして普洱茶も毎日飲む普段着のお茶だと思う。辺境に送られた茶は最初のスタートが違う。この茶はやはり毎日飲み“未病”を防ぐために麦茶の様に飲む茶だと思う。しつらえに凝ったり茶芸として供されるのは違和感があります。

 黒茶の講座が開かれると後でご質問や疑問点のメールを戴く。私が出てない講座もあるからビックリしながら出来るだけお答えするけど、もう一度勉強しなおす機会にもなるからとても嬉しい。茶馬古道や万里茶路に行く人も多く、古樹をたずねて売り物でない晒青緑茶を頂戴するなどもとても嬉しい。来月はラオスの古茶樹の情報も戴けそうだ。黒茶だけみても中国茶の世界も動きがとても速い。うっかりしていると古い情報になってしまうし、相変わらず間違った情報も氾濫しているから注意が必要だ。黒茶に興味を持ってセミナーを聞かれる方が多くいるのはとても嬉しい。辺境の茶を求めて旅する方が多くなるのもとても嬉しい。
 ただただ一つ気をつけて欲しいと思う。講座でも茶厰でも言われた事を鵜呑みにしない事、もちろん私の言う事も(笑)。疑問があったら調べて、複数の人に聞いて欲しいと思う。それから判断して欲しい。それでもわからない事はたくさんある。私も調べれば調べるほどわからない事はたくさんある。味だって本当に千差万別だ。そうしながら少しずつ見えてくるような気がしたりする。この面倒さが面白いのかな。
by natch551 | 2016-03-23 00:30 | 普洱茶
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